実家がゴミ屋敷であること
5階建ての1フロアーに1部屋という広めのアパート
エレベーター無し
壊れた冷蔵庫が3つ
壊れたテレビが3つ
壊れた洗濯機が2つ
ひざ下まで覆うむき出しの空き缶の山
おそらく私が10代の頃から1度も開けられたことのない衣装ケースの山
玄関を塞ぐように積み上げられた新聞紙の束
家中に放置された猫の糞尿の痕跡
家中に放置された父の糞尿の痕跡
母は自炊ができない。
料理ができないのではない。昔から母は凝った料理を作りたがる人だった。
私がビーフシチューが食べたいと言えば隠し味のワイン選びから始まり6時間掛けて作るような。
子供ながらいつしか早く作りあがる料理ばかりリクエストするようになったぐらい1度作り始めると止まらなかった。
そんな彼女が今は物理的に料理ができない。
ガスコンロの周囲、ガスコンロ本体をびっしりと覆う固まり切った猫の糞のために。
残された調理方法は炊飯器と湯沸かしポットと電子レンジ。
母は潔癖症だった。
働けなくなった父に代わって2つの仕事を掛け持ちながらも毎日すべてを完璧に保とうとし、そしてそれを家族にも要求する。
子供の頃から少しでも家の中に埃を溜めたら怒鳴られて過ごした。
だからこそだろうか、彼女は私にずっと隠していた。
父が家の中で糞尿を垂れ流すほど精神的にも肉体的にも限界に達していることを。
自分自身が自宅を管理する体力が無くなりほぼ1日中寝て過ごす程弱ってしまったことを。
予兆が無かった訳ではない。
私が小学4年のときに父がアル中を拗らせ気が狂ってしまってからというもの、睡眠時間を削りに削り働きつつ家事をすべてこなしていた彼女には年に数回まったく掃除をしない時期というのがあった。限界点と回復期間だったのだろう。
その状態でも私が勝手に掃除をすることは許されなかった。泣きながら頼み込んでも。
彼女の言い分は「完璧にできないならさわるな。完璧にできるようになれ。私の息子なら絶対にできる。」であり、子供の拙い掃除方法は認められず帰宅した彼女によく責められた。
しかし最終的には彼女自身で完璧に仕上げる意地と体力があったので私も不条理な状況を飲み込むことができた。
掃除しだすまで数か月掛かることもあり苦痛ではあったが。
家が汚れる理由というのもはっきりしている。猫だ。
私が小学1年のときに拾ってきた野良猫から始まり、私が引き篭もりを脱する17歳にはその数は2桁を越えていた。
それでも衛生的な環境を保てていたのは私と17歳~19歳まで同棲していた私の彼女の存在だろう。
私と私の彼女が「中途半端な」掃除をすることを許されていたのではなく、おそらく彼女自身のプライドのために。
私が実家の今までのような一過性ではない現状を知ったのは4年前父の心臓が止まり病院に担ぎ込まれたと連絡があって帰省したときだ。
心停止の時間が長かったため脳へのダメージが重く、そのまま入院生活が始まった。
父は私のことも母のことも認識しなくなり、会いに行く度に「こんにちは。」と初めてあった人として接せられるのが辛かった。
それまで気は狂っていても「おかえり」と言ってくれたことがどれ程嬉しかったか。
その時点で父は56歳。早過ぎる。
病院から帰宅してから私は母に掃除業者を呼ぼう金は出すからと伝えたが、彼女の返事は「人様に見られるぐらいならこのまま死ぬ。お願いだから放っておいてくれ。」
いや、頼むからと少しでもこちらが強く出ると「うるさい。誰の家だと思っているんだ。今すぐ出ていけ。そんなに私に恥をかかせて殺したいのか。そんなに死んでほしいのか。」となり会話が成り立たなくなった。
2年間もの電話口での不毛な言い合いを続けているうちに父は1度も病院を出ることなく、1度も家族を認識することなく一昨年の8月にくたばった。享年58。
父方の親戚に連絡したが1人も顔を見にすら来なかった。母方の親戚には母の反対で知らせられなかった。
通夜も葬式もやりたいなら頼むから自宅以外でと言い張る母の要望を受け入れ、4年間1度も自宅へ帰れなかった父はそのまま燃やされることとなり、それから丸々1ヶ月間実家へ留まった私に出来たことといえば壊れた家電や汚れきった箪笥などを1ヶ所に寄せて積み上げ、家内をなるべく自由に動けるようにすることと自分自身と母の足を伸ばして眠れる場所を確保することのみ。
ゴミを1つ1つ洗ってからしか捨てることができなかったからだ。
彼女のプライドが汚れたゴミをゴミ袋に入れただけで捨てるということを許さない。
1度夜中にこっそり2袋分のゴミを集積所に出したことがある。
次の日気付いた彼女は私に掴みかかった。
話は戻るが足を伸ばして眠れる、というのは綺麗なスペースを確保する、という意味ではない。
ゴミを平らに平らに均してその上に汚れていない新聞紙を敷きその上で寝るのだ。
たった1ヶ月間の滞在で私は腰を傷めた。母の身体はどうなっていることだろう。
私がもっと早くにこの状況に気が付いていれば、父はもう少し生き伸ばせたのかもしれない。そして母の寿命も。
彼女は今年で60歳だ。1日中新聞紙の上で過ごし、衰弱し、私が仕送りした金すら取りに行くまで2~3日かけて風呂に入り身支度を整え満を持してしか受け取れない。
そんな生活をするべき年齢ではない。そんなことあってはならない。
せめてこちらから定期的に食料や衣服を送る。そんなことはとっくに試した。
母曰く、玄関を開けたらゴミを見られる。この家の悪臭を嗅がれてしまう。そんな恥ずかしいことはできない。 となり会話のループが始まる。
とっくに家の中の臭いは外へ漏れ出しているというのに。
3度試し3度受け取り拒否で食料が返ってきたとき送ることを諦めた。
送り付ける度に母は電話に出ることすら拒否し音信不通になってしまうからだ。
いつ死ぬか分からない相手にそうされて耐えられるだけのメンタルが私にはない。
東京に出てきてくれお袋1人ならなんとかなる、金は出すからとこれも伝えた。
母の返事は「ありがとう。家の掃除が終わったら喜んで行くよ。」と。
強く説得すると怒鳴り散らし音信不通になる。
もう常識的な、論理的な会話が出来なくなってしまったのかと私は電話を切る度に絶望する。
彼女は狂っているのではない、自分だけで責任を負おうとしているのがまったく隠しきれていない。
私と同じように面倒臭い人間。いや私が彼女に似たのだろう、本当に面倒臭い。
先々週信頼している友人数人に対して「また実家チャレンジしてくるわ!」と大見得を切ったが、完全なるハッタリだ。
身体の自由が利かない146cmの母と160cmの私2人で解決できる状況ではないのは誰がどう見ても分かり切っている。2人とも免許すらないのだから。
私には沖縄に頼れる人間が1人もいない。
おそらくそれ以外にも、もう。
半ばやけくそ、半ば自暴自棄としての帰省である。
このまま父と同じように衰弱死させてしまったらきっと私自身が壊れてしまうだろう。
だからこそ解決できないとしても自分自身が救われたいがため、やるだけはやったぞという自分自身に対する言い訳のために周囲に宣言し帰省する。
私はゴミ屋敷と化した実家以上に汚い人間である。